信州 信濃 松本 和太鼓鳴桜 長野
|
野 | |
|
||
|
||
HOME /ブログ / メモギャラ / メンバー募集 / 鳴桜(なを)について / 和太鼓講座 /
和太鼓団体を作ろう | ||
◆松本市和太鼓鳴桜(なを) 主宰者紹介 |
||
|
||
|
||
|
||
生誕 |
||
|
1956年12月07日、松本市神林に生まれる。2200gの超未熟児(頭の中が未発達のままこの世に出てきた)。俗にいう早産? |
|
|
|
|
小学校時代 |
||
図書室で、電気製品の回路図をノートに書き写す
のが趣味の”不思議”ちゃん。4年生から、演劇クラブ所属。 |
||
|
|
|
中学校時代 |
||
|
短距離とハードル競技の選手。人よりコンパクトな足(;_;)が、有利に。 |
|
|
|
|
学生時代 |
|
|
|
孤高の山岳クラブ所属。毎日、マラソンで体力づくり。たま〜に沿道の果樹や野菜を失敬し空腹を満たす。 |
|
|
|
|
芝居との出会い、全国大会 |
||
|
劇団統一劇場(後にふるさときゃらばん)に出会い熱狂的に支持。彼らは、芝居はとてつもなくヘタ。けど、心に響くものがあった。 |
|
|
|
|
和太鼓との出会いは交通事故のようなもん |
||
|
このころ、地元の秋祭りに芸能がなく寂しい思いが募り始める。自分たちでお神輿(みこし)を作ろうと考えた。田楽座を退団した、上原誠一さん(故人)の噂を聞き
、当てずっぽで電話をかけまくり探し出す。そして、ご自宅まで相談に押しかける。丁度、上原さんが太鼓工房を始めた時で、うまい事丸め込まれ、顧客一号に。自分の意志とは無関係に、太鼓人生を歩み始める。 |
|
|
|
|
なぜ芸能大好き人間になったか |
||
1986年夏、北海道へ旅行。 |
||
|
||
神林太鼓連にて |
||
演目は増やさない。そのかわり、キッチリ練習し出演に備える。これが当時の神林太鼓連のスタイル。バブル景気に乗り、最盛期には
毎週末という位の出演。ギャラも多く財政は豊か。でも、年中出演練習してた印象がある。これはこれで立派
だが、年々色々なことを感じ始める。個人的に京都に行って太鼓センターの講座を受講してみる。 |
|
|
|
||
伊那市まつり工房/むげん隗 |
||
1998年。伊那市まつり工房の『工房祭り』を見る。そこで”むげん隗”という団体の、天地 と言う曲を見て衝撃を受ける。和太鼓の可能性に気づき、まつり工房の天地講座を三回受講し、ようやく半分モノにした。この曲が打ちたい。強く思った。 |
||
|
||
神林太鼓連退会を決意 | ||
1999年。太鼓を始めた年に生まれた地元の青年が神林太鼓連に入会。この時、神林太鼓連での自分の役割lは終わったと感じ退会を決意。引き止められたけど、話し合い を尽くし我侭を聞いてもらった。 |
||
鳴桜(なを)をつくったのは偶然 みたいなもん | ||
2000年県内誌NaOに、『劇団メンバー募集』と『和太鼓メンバー募集
』を投稿する、2枚のハガキを送る。理由はわからないけど、和太鼓メンバー募集
だけが掲載される。数名の若者からオファーを頂き発足。が、太鼓は一張もなし。 |
|
|
|
||
和太鼓さんとこの |
||
2004年から和太鼓こども講座を開催。半年間の講座終了後には解散する予定だった。が、受講生の皆さんは続けたいとの事。放り出すのも無責任と感じ、和太鼓さん
とこの旗揚げをお手伝い。翌年、和太鼓響も旗揚げをお手伝い。 |
||
|
||
和太鼓円のこと |
||
2009年鳴桜(なを)を応援して下さっていた藤森さんから突然の電話。事情をお伺いしているうちに和太鼓円の旗揚げをお手伝いする事に。 |
||
|
||
今。。。 |
||
2011年 和太鼓花水木 の旗揚げをお手伝い。 |
||
|
||
夢追い人 のこれから |
||
庶民の中に生き続ける”フーテンの寅さん”が自分の原点。だから、口には出さないけど、権威主義の和太鼓団体が大嫌い。
(まだ)夢を追いかけ中。 |
||
|
|
|
1 |
HOME /ブログ/
メモギャラ / メンバー募集 / 鳴桜(なを)について / 和太鼓講座 /
和太鼓団体を作ろう |
|
和太鼓 鳴桜(なを) ご連絡はこちらからどうぞ |